臨済宗

臨済宗の戒名

 

<教義>日常の一挙一動が道の働きであり、「平常心これ道」と説く。道は理想を求めず日常の中にあるとする。

<禅とは>

ひとつの相にこだわらない無相。

一処にとどまらない無住。ひとつの思いにかたよらない無念の心境を禅定と呼び、ほとけの心のことです。私たちの心は、もとより清浄な「ほとけ」であるにも関わらず、他の存在と自分とを違えて、対象化しながら距離と境界を築き、自らの都合や立場を守ろうとする我欲によって、曇りを生じさせてしまいます。

禅とは、雀の啼き声を耳にしても障りなく、花の香りの中にあっても妨げにならず一如となれる、そういう自由自在な心のことです。(妙心寺のホームページより)

<ご本尊>釈迦牟無尼仏

<本山>建仁寺(それぞれの派により異なる本山を持つ)

<宗祖>栄西禅師 西暦1202

<諸派>(妙心寺・南禅寺・建仁寺・建長寺・円覚寺)

<経典>特定の経典はないが主に般若心経・大悲呪・坐禅和讃等

戒名の意義と特色

戒名とは、戒を受け、仏教の信仰をもち、仏教者として自覚をもって生きていく者の名前であり、亡くなった人につけられる場合には、その生前に戒を受けていなくても、葬儀において授戒の作法をなして仏教者としての自覚を持った人であるとし、或いはそのような人であってほしいとして付けられる名であるといえようか。(戒名大辞典より)

<戒名形式>

□□△△信士・信女

信士とは、優婆塞の梵語の訳語である。禅定門(尼)は、禅定の門戸に入る謂である。

居士は、広く徳の高い男性

□□△△居士・大姉

〇〇院□□△△居士・大姉

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院号 道号 法号 位号

臨済宗の各派

建仁寺派

1202年(建仁2年)、中国・宋に渡って帰国した栄西により始まる。栄西は最初に禅の伝統を日本に伝えた。
大本山は京都の建仁寺

東福寺派

1236年、宋に渡り帰国した円爾(弁円)により京都で始まる。
本山は京都の東福寺
戦国時代、毛利家の外交僧として活躍した安国寺恵瓊はこの宗派。

建長寺派

1253年、鎌倉幕府五代執権・北条時頼が中国・宋から招いた蘭渓道隆により始まる。
本山は蘭渓道隆が開山した鎌倉の建長寺

円覚寺派

1282年 中国から招かれた無学祖元により鎌倉で始まる。
本山は鎌倉の円覚寺。円覚寺は、無学祖元から高峰顕日・夢窓疎石へと受け継がれ日本の禅の中心となった時期もある。
明治以降の有名な禅師は、今北洪川・釈宗演・朝比奈宗源。禅を西洋に紹介した鈴木大拙は今北と釈宗演の両師の元に在家の居士として参禅した。また夏目漱石も釈宗演に参じており、その経験は「門」に描かれている。
釈宗演の法をついだ両忘庵釈宗活老師が日暮里の地に居士禅の両忘会を再興させ、両忘協会となり、若き日の平塚らいてう等が修行した。その後、両忘協会は人間禅となり居士専門の坐禅修行が続けられている。

南禅寺派

1291年、無関普門により始まる。
本山は京都の南禅寺。

国泰寺派

1300年頃、慈雲妙意により始まる。
総本山は明治時代に江戸無血開城の立役者として知られる幕臣・山岡鉄舟の尽力で再興した富山県高岡市にある国泰寺。谷中の全生庵も山岡鉄舟が建立しており、国泰寺派である。文化庁によると、全国に寺は約77000あり、幕末からの官軍の人々を弔う場所は靖国神社があり、山岡は、官軍も、賊軍こと旧幕府軍もなく、国事に殉じた方々を分け隔てなく弔う場所を作りたいと考え、1883年(明治16年)に全生庵を創建したとされている。

大徳寺派

1315年、宗峰妙超により始まる。
本山は京都の大徳寺。室町時代には応仁の乱で荒廃したが、一休宗純が復興した。

妙心寺派

1337年、関山慧玄により始まる。
本山は京都・花園の妙心寺。塔頭寺院には、桂春院・春光院・退蔵院・隣華院などがある。
末寺3,400余か寺を持つ臨済宗最大の宗派。白隠慧鶴もこの法系に属する。
妙心寺派の男性住職がツイッターで2019年3月~9月にかけ、在日朝鮮韓国人を差別するヘイトスピーチ6件とその他の差別発言3件を書き込んだとして、同派は公式サイトで「誠に遺憾であり、深くおわび申し上げる」とした上で「人権問題に関する取り組みの見直しを行っていく」と謝罪した。

天龍寺派

1345年、夢窓疎石により始まる。
本山は京都・嵐山の天龍寺。

永源寺派

1361年 寂室元光により始まる。
本山は滋賀県東近江市永源寺高野町にある永源寺。
末寺は滋賀県を中心に約150か寺。
明治13年(1880年)までは東福寺派に属した。

向嶽寺派

1380年、抜隊得勝により始まる。
本山は山梨県甲州市の向嶽寺。
甲斐国塩山の向嶽寺を拠点とする向嶽寺派は鎌倉後期から南北朝時代にかけて武家政権と結んだ夢窓派と一線を画し、独自の宗風を築いた。向嶽寺派は無本覚心の弟子である孤峰覚明に師事した抜隊得勝により始まり、抜隊は永和4年(1378年)に入甲し、康暦2年(1380年)には守護武田氏の庇護を得て塩の山に向嶽庵(向嶽寺、山梨県甲州市塩山上於曽)を築いた。
向嶽寺派は抜隊の遺戒による厳格な戒律を定めていることが特徴で、抜隊の生前から法語などが刊行されている。

相国寺派

1382年、夢窓疎石により始まる。
本山は足利義満により建立された京都の相国寺。
末寺は日本各地に約100か寺。鹿苑寺(金閣寺)・慈照寺(銀閣寺)は当派に属する。

方広寺派

1384年、無文元選により始まる。
本山は静岡県浜松市北区引佐町奥山の方広寺。
末寺は静岡県を中心に約170か寺。
1904年(明治37年)までは南禅寺派に属した。

佛通寺派

1397年、愚中周及により始まる。
本山は広島県三原市の佛通寺。
末寺は広島県内を中心に約50か寺。
1905年(明治38年)までは天竜寺派に属した。

興聖寺派

1603年、虚応円耳により始まる。
本山は京都の興聖寺。
1953年(昭和28年)までは相国寺派に属した。