戒名とは
戒名とは、仏教教団に入り、戒律を守ることを誓ったものに与えられる名前の事です。
仏門に入るとは、仏弟子となる事であり、仏弟子としての戒律を授かるという考え方から起因します。
本来は、具足戒を授けられ、受戒した僧のみに与えられるものでしたが、出家しない在家の檀信徒にも授戒会に加わって沙弥戒を受けることにより、仏法に帰依したものとして戒名を与えられるようになりました。
日本に伝わる戒名は、シルクロードを渡って、中国に伝わり、中国で数百年単位を経て時代と共に変化していった形です。
もっとも、それも、死後の名前というものではありません。
死後に戒名を授かる事が一般的に
江戸時代以降、寺壇制度が確立する中で、亡くなった人に授戒して戒名を与えることが一般的になりました。
本来戒名は、生前に入信して与えられるべきものですが、死者の場合でも生きているものとして扱い、できるだけ早く授戒させようと、しばしば通夜に授戒が行われます。
これは、江戸幕府の政策でもあり、仏教徒として亡くなることをすすめられてきました。その背景としてキリシタン弾圧にも関係があります。
国民をお寺の檀家とし、キリスト教でないようにし、お寺が戸籍管理を担ってきたという歴史があります。
人間は誰しも、亡くなってからの事を心配するものであります。
キリスト教の考えであれば、天国であり、イエスキリストの神の国に導かれる。
キリストは、すべての最高神であり、天皇よりも上の存在では、天皇制をしく日本では問題が生じます。
また、乱世の時代にあたり、あの世の不安を解決してくれるのが、宗教であり仏教であるともいえます。
亡くなると、苦しもない、極楽浄土に生まれ変わると信じられています。それを形どったのが宇治の平等院や、東北の中尊寺です。
そんな極楽に生まれたいと考えるのは当然であり、生前に仏弟子となったものは、100%引導されるのである。
しかし、生前に縁がなかった人は救われないのか?天寿を全うした人ならいざ知らず、若くして亡くなった子供を、どうか仏弟子として導いていただきたいと死後に戒名が授かるようになります。
没後作僧
「没後作僧(もつごさそう)」と言い、亡くなった人を仏の弟子にして浄土に送るという事をあらわします。
授戒は引導と共に葬儀儀礼の中心をなすものとして位置づけられています。
「没後作僧」については生前、入信に際して授けるのが本来であるが、その縁がなかったものも死語といえども切り捨てるのではないという仏の大慈悲が存在する。と曹洞宗から始まったといわれます。
葬儀時に、急いで和尚さんが駆けつけ、枕経を唱え、葬儀が行われるのも、お経を早く読むのも、少しでも早く授戒させ、仏教徒として御仏の慈悲にすがるものであるといっても過言でもありません。
戒名料の問題
近年、戒名料が問題とされた背景にはどのような意味があるのでしょうか?
江戸幕府の政策による、強制的な檀家制度において、戒名料という考えはありませんでした。
お寺は、国の機関としての役割を担い、資金も潤沢にあったものです。
戒名や葬儀は、すべて無料で行われていました。
また、この当時の身分制度を考えると、戒名のランクによる不平不満など全くなかったものであります。
しかし、時代と共に、都市に人口は集中し、一億総中流といわれたように、身分という考えもなくなってきます。
高度成長期、地方から都会に出てきて、成功した初代の功績をたたえ、立派なお墓や立派な戒名が求められて生きました。
同時に、廃仏毀釈という仏教の力は弱くなり、宗教の自由のもと仏教の力が薄まっていきます。
国からの庇護を失った、寺院経済は、必然的に檀家に求められ、檀家の布施によってお寺が成り立つ構図が出来てきます。
檀家さんたちのお寺を管理護持するために、檀家総代をはじめ檀家さん達で決められていくのが「戒名のランクと布施」であります。
その事によって、経済的に余裕のある方は、お寺を護持する総代としての名誉職となります。
ちなみに、NHK大河ドラマ「青天をつけ」の主人公である渋沢栄一も上野 寛永寺や浅草 浅草寺の総代となっていました。
お布施の考え方は、戒名を一つの商品としてみるなれば、高い?安い?と見方が出来、あらゆる人に平等と考えられますが、菩提寺を護持するという意味においては、お金のある方が多く布施をし、お金のない方は少しだけにする。
今の日本の税金システムのように、それぞれが社会的責任を担うために負担しあうという考えが「平等」ともいえるでしょう。
何が戒名料の問題となっているか?
さて、そこで、戒名の不平不満を言っておられる方は、前者であることいえます。
菩提寺がなく、葬儀の時に出来るだけ良い戒名を=高額な布施となり、戒名が商品としての考え方となり、高い?安い?となってしまっています。
それは、菩提寺との関係を考えない。いや知らない事から起こっている問題であると考えます。
そこで、各宗派が執り行っているのが、生前に授戒会などに出て戒名を得ておくことをすすめています。
浄土真宗は在家道で教義にも戒律や授戒はなく、聞法者という意味を込めて「法名(ほうみょう)」といいます。
仏法に帰依したものが授かる名前で「帰敬式(おかみそり)、(おこうぞり)ともいう」を受けていただくものとされています。
生前に法名を得ていない時は「お手次寺」(檀那寺)より法名を受けます。
日蓮宗は、「法華経に帰依することが持戒に勝る」ということで、あるいは「経(法華経)を受け持つことが戒を持つこと」という考え方から葬儀式に授戒という作法はありません。「信仰に入った証」ということで「法号」が与えられます。本来は、生前に与えられるものですが、亡くなった後に授与されることが多く、また生前に与えられていても、死後改めて授与し直される事が多いようです。
戒名・法名・法号は、身分制の時代を背景に発達しましたので、戒名が身分をあらわすことも多かったのですが、近年は寺院・社会への貢献度、信仰の深浅、人徳などを住職が判断してつけるものとされています。
しかし、戦後、特に経済成長以降、寄進する金額の多寡によって位の高い戒名が帰るという風潮が出て、「戒名料」なる言葉も一般化するなど批判の対象となる現象も起きています。
また、かつての被差別部落民に対して差別戒名をつけた寺院が批判の対象とされ、寺院でもこれに対する反省の動きを起こすなど、戒名の在り方についての再検討も課題となっています。
本ページでは、戒名とは何か?
そして戒名に関する様々な世の流れを紹介しつつ、戒名について考えていきたいと思います。