布施って何でしょうか?
仏教では、布施は菩薩(悟りを求めて修行する人)が行うべき6つの実践徳目の一つとされており施す人も、施される人も、施す物品も本来的に空であり、執着心を離れてなされるべきものであるとされています。
財施(ざいせ)
出家修行者、仏教教団、貧窮者などに財施、衣食などの物品をあたえること。仏教の教えへの感謝をあらわし、施すことです。
タイやラオスなどでよく見かける托鉢の風景です。僧侶は、決して「ありがとう」とは言いません。また、布施する人も面倒を見てやっているという考え方はありません。布施する人が「ありがとう」といって布施されています。財施とは、自分の大切なものを、感謝して振り向けるものです。そこには、皆の美しい心が重なり合っています
法施(ほっせ)
正しい仏法の教えを説き、精神的な施しを行う事。僧侶の務めです。
お釈迦様は、「心田を耕す」といわれています。
仏法を説くことで、心を耕すという意味です。
最近は、法話をしなくなったお坊さんが多くなりました。その反面に、ユーチューブなどで仏教を発信するお坊さんも増えてきました。
その数は、社会現象となるようにたくさんの方が耳を傾けています。新しい法施の形ではないでしょうか?
無畏施(むいせ)
施無畏(せむい)ともいい、不安や恐れを抱いている人に対して安心の施しをすること。困った人に対して親切に施すことです。
仏像の印を、施無畏印ともいいます。掌をこちらに向けて、右手を挙げておられます。
葬儀でのお布施
葬儀において、僧侶は枕経・通夜・葬儀式などの法要を営むことによって法施を施し、遺族はこれに対して感謝して財施で応えるという関係にあります。
僧侶が法要を営むことは、ビジネスではなく、あくまで法施です。遺族も葬儀のお布施は法要執行への対価として払うのではなく、あくまで財施として行うというのが原則です。
「お経料」「戒名料」という表現は、対価としての料金という考え方によるものですからふさわしくありません。
遺族には「お礼」という気持ちが確かにあると思われますが、それを超えた意味があることを理解する必要があり、金封には「お経料」や「戒名料」と書くことは、恥ずかしいことになります。
僧侶に渡すお金は、すべて「お布施」とされるのが良いでしょう。
布施=布(あまね)く施すという意味があります。